迷いながら、悩みながら、それでも少しずつ前へ。

就活の「正解」が分からず絶望した私が、『嫌われる勇気』を読んで手放したもの

就活の「正解」が分からず絶望した私が、『嫌われる勇気』を読んで手放したもの

こんにちは、Compassワタナベです。

最近の私、はっきり言って思考停止に陥っていました。大学2年生も後半に差し掛かり、周りではインターンや就職活動の話題が日に日に増えていく。教員養成大学に通う私は、「本当に教員になりたいのか、それとも民間企業への就職という道もあるのではないか」という、人生の大きな岐路に立たされています。

親は安定した教員になることを望んでいるし、友人たちは大手企業の内定を目指して走り出している。そんな中で、私は「みんなに良い顔をしたい」「誰からも嫌われたくない」という思いばかりが先行し、自分の本心が完全に見えなくなっていました。周りの期待という名の霧の中で、自分のコンパスを完全に失ってしまったような感覚です。

きっかけは、一冊の本との出会い

そんな八方塞がりの状況を見かねた大学の先輩が、ある日、「就活で悩んでいるなら、絶対に読んだ方がいい」と強く勧めてくれた一冊の本がありました。それが、岸見一郎・古賀史健著の『嫌われる勇気』です。

正直、このタイトルを見た瞬間、「自分には一番無理なことだ…」と敬遠してしまいました。何よりも「嫌われること」を恐れて生きてきた私にとって、あまりにも刺激が強すぎる言葉でした。しかし、藁にもすがる思いで、私はその本を手に取りました。

学びと発見:「課題の分離」という衝撃

読み進めていく中で、私はアドラー心理学の「課題の分離」という考え方に、頭を殴られたような衝撃を受けました。

「自分の課題」と「他者の課題」を切り離して考える。誰の課題なのかを見極める方法はシンプルで、「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か?」を考えればいい。

つまり、「私がどの道を選ぶか」は、最終的にその結果を引き受ける私自身の課題。一方で、「私の選択を他者がどう評価するか」は、その人自身の課題であり、私にはコントロールできない、ということ。この考えに触れた瞬間、がんじがらめになっていた思考が、ふっと軽くなるのを感じました。

他者からの承認を求めることは、他者の期待に沿って生きることであり、それは自分の人生を生きられない「不自由」な状態なのだ、という指摘も胸に突き刺さりました。私はこれまで、自由を求めているようで、実は自ら不自由な生き方を選んでいたのかもしれません。

葛藤とリアル:理屈通りにはいかない現実

しかし、恥ずかしながら告白すると、理屈で分かっていても、長年染み付いた「嫌われたくない」という思考は、そう簡単には消えてくれません。

親の期待を考えると胸が苦しくなるし、友人たちの内定報告を聞くと焦りを感じる。SNSで目にする「キラキラした就活生」の姿に、自分を重ねて落ち込むこともある。他者の課題が、どうしても自分の課題のように感じてしまう瞬間が、今でも頻繁に訪れます。

一時期、「課題の分離」を意識しすぎるあまり、他者の相談に「それは君の課題だから」と、どこか冷たく突き放すような態度をとってしまい、人間関係がギクシャクしてしまったこともありました。アドラーの教えを、自分を守るための都合のいい言い訳にしていたのです。本当に未熟だったと思います。

結論と展望:私が手放したもの、そして手にしたもの

『嫌われる勇気』は、「嫌われる人間になれ」と無責任に煽る本ではありませんでした。むしろ、他者の課題から自由になり、自分の人生に集中するための「勇気」を、静かに、しかし力強く与えてくれる本でした。

この本を読んで、私が手放したのは「他者からの評価で自分の価値を測ること」そして「みんなにとっての正解を探すこと」です。

私はまだ、教員になるか、民間企業に進むか、明確な答えを出せていません。しかし、以前のように「誰かにとっての正解」を探し求めるのはやめました。これからは、周りの声に真摯に耳を傾けつつも、最後は「これは自分の課題だ」としっかりと線を引き、自分の心で決断を下したいと思っています。

その選択が、たとえ誰かに嫌われたり、理解されなかったりする結果になったとしても。その結末を引き受ける覚悟を持つことこそが、自分の人生のコンパスを、この手に取り戻すということなのだと、今は信じています。

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