迷いながら、悩みながら、それでも少しずつ前へ。

伝説の教師、大村はま。『教えるということ』を読んで、教員志望の私が感じた「憧れ」と「絶望」。

伝説の教師、大村はま。『教えるということ』を読んで、教員志望の私が感じた「憧れ」と「絶望」。

教員養成課程に在籍していると、必ず名前を聞く伝説的な教師がいます。その一人が、国語教育の実践家、大村はま先生です。

今回手に取った『教えるということ』は、先生の実践と思想が詰まった、まさに教員を目指す者にとってのバイブル的な一冊。かなり昔に出版された本にもかかわらず、なぜ今なお読み継がれているのか。その理由を、令和の大学生である自分の視点で探ってみようと思いました。

結論から言うと、私はこの本を読んで、教師という仕事への強烈な「憧れ」と、同時に、打ちのめされるような「絶望」の両方を感じました。

憧れた姿:教師でありながら、永遠の「探究者」

本書を読んで最も感銘を受けたのは、大村先生の授業に対する姿勢です。先生にとって授業は、一度やって終わりではありません。それを綿密に記録し、振り返り、次の実践へと活かす。授業そのものを、生涯をかけた「研究」として捉えていたのです。

教師自身が「学び続ける存在」であることを体現しています。

私は常々、完成されたノウハウよりも、現在進行形の試行錯誤にこそ価値があると考えてきました。大村先生は、まさにそれを最高レベルで実践されていた方でした。教師という立場にあぐらをかかず、失敗を隠さず、教材や指導方法を常に問い直し続ける。その「探究者」としての姿に、心の底から尊敬の念を抱きました。

直面した絶望:「正直、自分にはできないと思った」

しかし、ページをめくるにつれ、そのあまりにも高く、厳しいプロ意識に、次第に息苦しさを覚えるようになりました。

教材研究にかける膨大な時間と熱量。一人ひとりの子どもに対する、妥協のない深い敬意。それらは、間違いなく教師としてあるべき理想の姿です。けれど、今の自分にそれを実践する覚悟があるのかと問われれば、答えは「No」でした。

どちらかというと、自分にはできないな・・・と思いました。

これが、偽らざる本音です。教員か民間就職かで迷い、「社会人基礎体力」の不足に焦りを感じている今の私にとって、大村先生の存在はあまりにも巨大すぎました。「教師とはここまでやらなければならないのか」という事実に、正直、怖気づいてしまったのです。

さらに、こんな生意気な疑問も頭をもたげました。「現代の多忙を極める教育現場で、大村先生のような実践が本当に可能なのだろうか?」。もしかしたら、私たちはこの本を、遠い昔の美しい「物語」として消費しているだけなのではないか、と。

それでも「バイブル」であり続ける理由

読み終えた今、私は教師という仕事の奥深さと恐ろしさに触れ、以前にも増して進路に迷いが生じています。

ですが、それでもこの本が「バイブル」として薦められる理由は痛いほど分かりました。それは、教師としての絶対にブレてはいけない「北極星(コンパス)」を示してくれるからです。

今の私には、大村先生のようにはなれません。「できない」と絶望することの方が多いかもしれません。ですが、「教師とは本来どうあるべきか」という圧倒的な基準を知れたことは、今後の人生において何物にも代えがたい財産になるはずです。

たとえ教員にならなかったとしても、何かを「教える」、誰かと「学ぶ」という局面に立った時、私はきっとこの本のことを思い出すでしょう。自分の未熟さを突きつけられながらも、目指すべき方向を見失わないために。

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